『遊書』




ちょっと前に『遊書で奏でるものがたり』の作品にまつわる事を書いたのですが、
多分、いや、きっと、
「遊書?」って思った方もいると思うので^^
遊書とは、こういう言葉があって、
文字の通り、「遊ぶ字」なんですね。
つまり、自分で好きなように、想いのままに書く書の事なんです。
私は7歳の頃から書道を初めました。近所に書道教室があり、友達が習っていて、
たまたまついていったのが習い始めたキッカケです。
中学卒業まで続け、(そこで一応生徒の部ですが八段を取り)高校では部活を引退した後に、

専門学校に行くまでまた通ってました。
(先生になる免許まではとれなかったけど、
……あれ、何段だったけかな?何段かまで取ってるんです一応。笑)

話しが脱線した。

日本習字を習ってた方は分かると思うのですが、書道教室ではきちんとしたお手本があって、

それを見ながら、字の形、書の形、書き方を学び書いていきます。(ぇ〜と、観峰先生の字ですよね。原田観峰先生。)
私も書道教室ではずっとお手本に習って書いてました。
そして確か高校生くらいの時に、東京の相田みつを美術館に行った事があって、
そこで『相田みつを筆ペン』を買ったのです…!
それをいつもペンケースに入れて学校に行ってました。
それで授業中とかによく、ノートや教科書に絵を描いて1人遊んでたんです。←(おいおい。笑)
授業中とかね、テストの問題用紙の裏とかね。笑

それでそれで、鉛筆で絵を描いて、ふっと、言葉を書きたくなったんです。

そこで、ペンケースに入ってたその筆ペンで絵に言葉を付け足し初めました。
それが始まりで、私の『遊書』を書き始めました。
最初は自分の好きな歌の歌詞を書いてたんです。
それが癖になり、何か描くとなるといつも絵と遊書言葉を書いてました。
(特に地理の教科書はすごかったなぁ〜。あと英語の教科書もすごかった。)
高校の時はよく友達にも描いたりしてました。
専門学校に入ってからもその絵と書を描くという作品を創っていて、でも、
さすがにもう、歌詞はだめだよな…と思ったんです。
そうして、自分の言葉を遊書で綴るようになり、
いろいろ縁があって、
『遊書で奏でるものがたり』の作品が出来ました。^^

あの女の子は、もともとは
ただ女の子を描いてるつもりだったんだけど、
周りによく『この子自分なの?』と聞かれたんです。
考えてるうちに、
あぁ、これは自分なんだなぁと思ったんです。

だからあの作品は、自分自身に向けて描いたものでした。
こんな自分になれたなら、こんな風に生きれる心を持てたなら。
そんな想いをこめて、願いのような、祈りのような…そんな作品であり、
私の原点の作品です。きっと。

(写真はポストカードではなく一筆箋になったものです^^
8種類を横に並べると一本の筆の道が繋がり、一枚の旅の絵になるんですょ^^)

自分へ向けて創った作品だけど、
もし同じような気持ちを持ってる人がいて、
同じような事考えてたりして、
同じように立ち止まったりして、
そんな時に
作品が普遍性をもち、見てくれた人に何か届いてくれたら、と思っていました。
今でもそう願ってます。

そしてこの作品を通してたくさんの出逢いがありました。
(もちろんこの作品だけではなく今まで個展などで創った作品)
作品を見てくれた人がメールをくれたり、手紙をくれたり、
個展に来てくれたり。
逆に私が多くの支えと力をもらってきました。本当です。
メールや手紙、メッセージ、個展のメッセージ帳は宝物です。
今までどれだけ支えられたか…
本当にありがとうございます。

この作品を創ってた頃の自分に戻って、また描こう、
今とてもそんな気持ちです。^^

遊書って言葉の意味を説明するだけのつもりがいろいろ思い出して、思い出に浸り…(笑)

気付けはまたこんなに長くなってしまった…。










コメント