2012年12月24日月曜日

トムラウシ -曼珠沙華の咲く風景-




【トムラウシ-曼珠沙華の咲く風景-】

今年も気付けばあと少し。
いろんなことがあった一年だった。
『トムラウシ-曼珠沙華の咲く風景-』これは、今年の夏に旭川の上野ファームで
行った個展で飾ってた絵でもあります。これを描いていた時間はすごく長くて
その間にいろいろなことを思っていました。

個展会場に来て下さった方はあとがきを読んで下さった方もいると思うのですが
(暗い会場の上に字が小さくすみません。。。)
あの時描いた気持ちと今また別の気持ちでこの絵のことを想っていたりします。

あの会場であとがきに書いたこと
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上野ファームさんで個展を行わせて頂ける事になり、
緑や花や風や自然に囲まれた場所で作品を展示出来たこと、本当に嬉しく思います。
個展のタイトル“トムラウシ”。これは、アイヌ語で〈花が多く咲く場所〉という意味を持ちます。
いろんな意味を込めて、このトムラウシをいう名前を付けましたが、
後になってから、更に多くの繋がりが、この名前と場所と作品とにある事に気付き、
自分でも驚いていました。
私はいつも、「下書き」のようなものはほとんどしません。
描きたいと想ったものを頭の中に出たら、後はキャンバスの上で色を出し、重ね、
その偶然に出来た色を使い、作品を仕上げていくことが多いです。
今回は特に、自分の表現したいと想っている事は何だろう?それを逆にキャンバスに聴いて、手に聴いて、筆が動くまま描き
塗りつぶし、その繰り返しで描き上げていきました。何度も何度も塗りつぶしました。
『そういう事だったのか』とわかったのは、作品の完成が近づいたころでした。
不思議なものですが、自分でもよくまとまらずわからなかった答えのようなものも、
作品は知っていて、作品が私に教えてくれる、そんな感じです。
そうして出来上がってくると、他にもいろいろな途切れ途切れだった想いが、
不思議なくらい繋がっていきます。こう描こうと想っているのに、なぜか筆は手は、違うものを描く。
それは技術のなさ、とも言えるかもしれないけど、でもそうではなくその絵はそうなるべくしてなったんだろうな。
とも、想っています。
今回も、描き始めた当初はもっと優しく柔らかく光る花をイメージしていました。
でも、描けば描く程、優しく光るだけよりは、どうも、花が強く、燃える
ように、なにかを訴えるように咲く花にもなる。。。
しばらくの間は何日間も筆をとめキャンバスに向かってただ座り絵の花に話しかけるように眺めていました。

ある時ふっと、『怒っているのかな?』と、思ったんです。
自分の中にあるもの達が作品を生んでいく訳ですから、結局は自分の心の表れなのかもしれないのですが、
この絵を描きながら私が想っていたことは、入り口に書いた文章のこと、
そして正に今、私たちが向かい合わなければならない[原発]のことです。

正直、私は偉そうな事は何もいえません。恥ずかしい事に今まで知らな過ぎで過ごしていました。
自分がいるこの北海道にも原発はあるのに、無関心のように過ごしてきた。
あの震災でようやく現実を知って、本などで原発の事を調べてようやく
知り出しまだまだ分からないことだらけです。それでも知る度に、
なんて人は自分勝手に生きてるんだ。と思いました。もちろん自分に対しても。
そうしてふっと、描きかけのキャンバスを見つめ、
『あぁ、花は大地は怒っているのかもしれない。。。』と、そんな感情を持ちました。
あの震災は、きっと、知らせてくれたんだと思っています。
そして、変えるべきものを変える時間をまだ残してくれました。
大地、風、光、水、全てがあって、花の命が咲きます。そして私たちも。

NO NUKES,MORE HEARTS. 


作品で伝えたい、たとえ小さくとも自分の想いは込められると、
そんな想いで描きあげた絵です。

自然界の中で咲く花、自分の心に咲く花。
目に見える世界と目に見えない世界の両方で花は咲いてるのだと想います。
それぞれが違うようだけど、でも、結局は同じ流れや共通するものを持って生きて咲く。
花が咲く時期もあれば、土の中で冬を過ごし、春をじっと待ち、来るべき時期に花を咲かす。私たち人もそうであって。

何が花を咲かすのに大切か。水はもちろん、太陽の光や風も土や根。
土にもたくさんの種類があって。それぞれがバランスよく合った環境で元気な花を咲か
せるそうです。生きているそうです。
もしも自分が種だとしたら、そんな自分の命の花を咲かせてくれた、水に光に風に、
根をはらせてくれる土に感謝をしているか。そのことを忘れてはいないか、
この個展の制作で何度も考えさせられました。

いろんな事、
正しい正しくない、とその二つの言葉で分けてしまう事は悲しいし、
それは誰にもわからないものだろうと思ってます。
でも、「それは違う。それはだめだ。」って、私たちの身体に刻み込まれてる記憶かDNAか
大地の記憶かが感じることはあると思う。それは、きっとみんな同じでわかっているんじゃないかなぁって思います。

それなのに、なぜだろう。


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あの時、描いてる時、「大地が怒っているのかな」って思っていました。
でも、今は、大地が力を振り絞り、耐えて、
なんとかこの地を守ろうと、守ろうと、
自分たちの命を燃やして守ろうとしてる事を描きたかった絵なのかもしれない、と
思いました。
あの日の震災、原発事故で命を張って収束へ向け動いてくれてる人達もたくさんいるそうです。

自分に出来ることはなんだろう。

小さいかもしれないけど出来る事はあって、必ずあって、
小さくてもあるのなら、小さなことでもその積み重ねが、その集まりが
きっと未来に繋がると自分が信じれることがあるのなら、
自分のその想いを信じて続けていきたい、そう思っています。

小さくても小さな声でも意味のないことはないと、そう信じていたいです。














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